「はい!」
いつも通りの元気な声が、教室に響き渡った。
この時間は、僕にとって憂鬱なものになるはずだった。
けれど、それは今の一声で杞憂となった。
「他に立候補者もいないようなので…。
陽ノ下さん、実行委員として、あとの議題をまとめて下さい。」
僕は、仮の議長としての務めを、彼女にそう告げる事によって終えると、自分の席へと戻った。
その途端、壇上から僕へと声がかかった。
「了解了解!あとは任せてよ、委員長!」
この日は、昼休みに生徒会から通達があり、
ホームルームで体育祭について取り決める必要が有った。
僕にとっては、これが2度目の体育祭となる。
そう、昨年も僕は、学級委員長として壇上に立っていた。
そして、今と同じように、体育祭実行委員を決める為に、立候補者を募ったのだ。
しかし、なかなか立候補者も、また推薦者すら出なかった。
入学して1ヶ月では互いに良く知らず、推薦も出来なかったのは、
当然と言えば当然だったかもしれない。
この時の寂しい状況は、僕にとって苦い思い出として残っていた。
結局、僕が実行委員も引き受け、大変な目にあったのだ。
最も今となっては楽しい思い出となっている。
そもそも僕の通う、ひびきの高校は、爆裂山校長の意向も有り、様々な行事に力を入れていた。
当然、体育祭も激しかった。毎年、怪我人も出るくらいだ。
実行委員は、開催日までの準備はもちろん、
怪我で人数不足となった競技への代理参加が義務づけられている。
つまり、代理参加で全種目制覇というのが、大変な目という訳だ。
また、楽しい思い出というのは、手伝ってくれた陽ノ下光(とその幼馴染)との思い出である。
元々、僕は運動が苦手な訳ではない。というより、スポーツは大好きだ。
とはいってもさすがに全種目制覇には、体力の限界を感じた。
その後、僕は彼女らに誘われて、陸上部に入部したんだ。
あの頃は、彼女が一番速かったなあ…。
「委員長っ!委員長ってば!」
突然、僕は呼ばれた。もう1年以上、学級委員長である僕のあだ名は、いつのまにか委員長だ。
「えっ、何?」
「ぼーっとして、どうしたの?もう、全部決まったよ。」
どうやら、1年前の記憶を呼び覚ましているうちに、数十分の時間が流れていたらしい。
「いつのまに。って僕は?」
「私のサポートだよ。去年の貸しを返してもらうからね。」
微笑みかけられて、僕は何故かどきっとした。
「サ、サポート?それってまた全種目制覇になるって事?」
「もちろん。一緒にがんばろう!」
僕は、わざとらしく肩を落とすと悲鳴を上げた。
「そんなあ。」
それでも本当は喜んでいた。
数日後、陸上部の練習を終え、校門の前に立つ彼女を見かけた。
僕は思い切って声をかけてみた。
「陽ノ下さん。」
彼女は、僕に気づくとびっくりしたみたいだ。
「あ、委員長。今帰るとこなの?」
僕は更なる勇気で言葉を続けた。
「そう。今、部活が終わったんだ。良かったら、一緒に帰らない?」
彼女は、表情を曇らせると、申し分けなさそうに言った。
「あ、ごめんね。今日はちょっと用事があるんだ。」
「いや、いいんだ。じゃあ、陽ノ下さん、またね。」
「うん、またね。」
彼女から見えないところまで普通に歩いた後、
僕は練習が終わったばかりだというのに全力疾走していた。
五月十五日。僕は珍しいものを見た。
あの純な、というかあだ名まで純という穂刈純一郎が、
青いロングヘアーの娘と仲良さそうに廊下で喋っていたのだ。
僕は、自分の中に湧き起こる、いたずら心を抑え切れなかった。
「穂刈」
「い、委員長。」
「委員長って。今は穂刈のクラスの学級委員長じゃないんだけど。」
「ああ、そうだったな。すまん。えーと…」
「名前を思い出せないんだったら、別にいいよ。」
「すまん。」
「ところで…、彼女かい?」
穂刈は、耳までボッと真っ赤になると
(いや本当にボッと聞えそうになるくらいだった)小声で言った。
「やめろよ。」
僕は、肘で軽く穂刈を小突くと、囁くように言った。
「穂刈、態度でわかるぞ。」
「二人で何やってるのかしら?」
穂刈と彼女の会話を僕が不意にとめたからだろうか、僕は何となく彼女の声に棘を感じた。
穂刈は、こほんと咳を漏らすと、紹介を始めた。
「水無月さん。こいつは、一年の時の学級委員長で、委員長ってあだ名なんだ。」
「一年の時ってことは、光とも同じ組だったんじゃない?」
「ああ、陽ノ下さんとは、今年も同じクラスだよ。」
クラスと僕が言った途端、水無月さんは一瞬眉を上げたようだった。
「そう言えば、光から、あなたのことを聴いたことがあったわ。」
「どんなことだい?」
「1年の時の体育祭は、とっても頑張ってたって話よ。」
「確かに、委員長は実行委員で頑張ってたな。」
「やるしかなかったからな。」
僕はそう言うと苦笑した。
「今年は、光が実行委員だそうね?」
「そうなんだ。僕もサポートする事になったんだけどね。」
サポートと言ったところで、また水無月さんは眉をひそめた。
「まあ、精々頑張ってね。」
「穂刈のクラスでは、誰が実行委員なんだ?」
「俺って言いたいところだけど…」
「光の幼馴染よ。」
水無月さんは、さっきからカタカナの言葉が出る度に、不愉快になってきているようだった。
「あいつか。穂刈、本当は彼女の前でいいとこ、見せたかったんじゃないのか?」
後半は、穂刈にだけ聞えるように僕は言った。
穂刈は、また真っ赤になると、言葉を継いだ。
「ば、馬鹿言うなよ。じゃあ、俺達急ぐから。」
そう言うと、穂刈は一人歩きはじめた。
水無月さんは、やれやれという表情になると、僕に一声かけてから、穂刈に続いた。
「それじゃあ、私はこれで失礼するわ。さようなら。」
あれからしばらく、陽ノ下さんに話し掛けづらかったが、
いよいよ体育祭が迫ってきた日のことだった。
僕は後ろから、元気な声に呼び止められた。
「あっ、委員長。今から、棒倒しの練習なんだけど、手伝ってくれないかなあ。」
僕は、陽ノ下さんと認めると、断る理由もなかったので、了承と返した。
「ああ、わかった。手伝うよ。」
「良かったあ。じゃあ、早速これ運んでくれる?」
「OK。」
この後は、彼女と会話が弾み、僕は体育祭に感謝したい気持ちになった。
六月三日。体育祭当日だ。僕らは準備のため、一般生徒より早めに登校した。
集合時間の10分前だったが、僕は、僕のクラスの実行委員を探した。
彼女は校門を通り抜けるところだった。そこには、笑顔の彼女と、幼馴染のあいつがいた。
この時、僕は胸に痛みを感じた。けれど、それは一瞬のことでほんの小さな痛みだった。
そして、その痛みは一瞬で忘れてしまった。僕は彼女に声をかけた。
「おはよう、陽ノ下さん。」
「あっ、委員長、おはよう。本当に早いね。」
「おっ、委員長、おはよう。」
僕はあいつにも挨拶を返すと、陽ノ下さんに答えた。
「そんなに早くもないって。集合時間まであと10分だしね。」
「ほんとだ。急いで着替えてこないと。」
「それじゃ、光、今日は互いにベストを尽くそうぜ。」
「うんうん。私のクラスが勝ったら、今度おごってもらう約束、忘れないでよ。」
「逆におごらせてやるぜ。」
僕の存在を忘れたように、二人は会話すると、更衣室に向かってダッシュした。
体育祭は、予想通り、怪我人が続出し、僕らはてんてこまいとなった。
そして、実行委員は全種目制覇となった。
あいつのクラスと僕のクラスは、最終競技である騎馬戦を残して首位を分け合っていた。
「委員長、最後まで全力を尽くそうよ。」
彼女は、自分も少々息を切らせながらだが、僕を励ましてくれた。
「ああ、陽ノ下さん。任せてくれ。」
僕は精一杯、元気を振り絞って(というか、空元気かも知れなかったが)そう答えた。
あいつのクラスは、あいつを先頭に、穂刈らと組んだ騎馬が大将。
こっちは、僕が先頭で、陽ノ下さんを騎手にして大将だった。
パーン。
競技開始の合図が鳴った。
僕らは、敵大将への集中攻撃を作戦として選び、あいつの騎馬に向かってダッシュをかけた。
と、あいつの騎馬も同じ作戦を採ったようだ。こちらにむかってダッシュして来た。
そのあとは互いにバックをとろうと、ぐるぐるとまわる展開となった。
もちろん、互いに隙を見つければ、体当たりをかませあった。
そして、十数回のぶつかり合いの後、僕の右後ろから騎馬が崩れた。
勝利はあいつのものだった。
そうして、全ての競技が終わり、片付けも終わると実行委員も解散だ。
解散前に、僕は彼女に今日のことについて語ろうとキョロキョロした。
そして、彼女を見つけ、目で追っていると、あいつに声をかけた。
「きょ・・は、よ・・・ばっ・・。かっ・よか・・。」
彼女の声は良く聴き取れなかったが、あいつを称えていることは間違いなかった。
僕は彼女に声をかけず、その場をあとにした。
六月四日。僕は、彼女に電話した。
昨日の体育祭の話と、六月二十五日の予定を聞く為だった。
僕は、彼女の誕生日をひょんなことから、昨年の秋に知ったのだ。
当然、昨年は誕生日プレゼントを渡すことは出来なかった。
でも今年は、渡したかったのだ。だから、当日の予定は抑えておきたかったのだ。
第三日曜日だったら、同じ陸上部だからその場で渡せたんだけど。
連絡網(同じクラスだからそういうものは当然ある!)で彼女の電話番号を調べると、
プッシュボタンを押した。
「Trrr…カチャ。ただ今、留守にしております…」
しかし、どうやら留守のようだった。
僕は、今度の練習試合にでも、予定を聴くつもりで、今日はプレゼントを買いに行くことにした。
六月十八日。今日は、陸上部の練習試合だった。
ひびきの高校代表選手として、2年生からは、僕とあいつが選ばれていた。
僕は試合前に軽いストレッチ、あいつはアップをする事が多い。
あいつがアップをする為に、トラックへ出て行くと、元気な声がかかった。
「…君、………」
僕のところからは聞こえなかったが、どうやら彼女があいつを応援しているようだった。
そして結果は、またしてもあいつの勝ちだった。
六月二十五日。梅雨に入ったというのに、今日も快晴。何でもうまく行きそうな感じがしていた。
今年の梅雨は、前半が空梅雨というのは、気象庁の発表通りだ。
練習試合の日は結局、彼女に声をかけられなかった。
しかし、僕の家は、元のあいつの家、そして彼女の隣の家。
彼女を見かけた時にでも、声をかければすむ話だった。
まあ遅くても夕方にでも電話して、手渡せば良いのだ。
夕方。僕は、彼女の家の前に、あいつと彼女を見かけた。
彼女の笑顔は、いつもと違い、大きな歓喜が加わっている。
あの笑顔は、初めて見る。いや、前に二度だけ見た事が有った。
そう、入学式のあの日。彼女が誰かにぶつかり、転んでいるのを僕は目撃していた。
あの時の笑顔がそのうちの一度だ。
そして、本当に初めて見たのは、ここに越してきた日。
彼女は、僕にあの笑顔を向けてくれた。けれどそれは、ほんの一瞬のことだった。
次の瞬間、彼女の瞳には涙が浮かんでいたのだ。
これらのことを全て思い出した時、彼女の気持ちがわかった。
同時に、自分自身の気持ちにも気付いた。
僕は、陽ノ下光が好きだ。僕は、光が無ければ存在すら出来ない影と感じるほどに。
でも…。
僕は、彼女にとって、あいつの影に過ぎなかった。初めて会ってから、入学式の間までの。
いつまにか僕は泣いていた。今日は、プレゼントを渡せないことは明らかだ。
僕は寝てしまうことにする。そして、立ち直りたい。
一日遅れてしまうが、明日こそ笑顔で、彼女にプレゼントを渡したいから。
心から祝福出来るように、
「陽ノ下さん、お誕生日おめでとう」
と…。